麿赤兒

日経夕刊。1回目はなかなかの名文であった。

http://allatanys.jp/D004/

麿赤兒さん  舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を主宰する舞踏家の麿赤兒さんは、第2次大戦中に戦死したお父さんの話から語り始めます。海軍士官だったお父さんは麿さんが生まれて間もなく、サイパンの南にあるテニアン島で亡くなりました。父方の祖父母に育てられ、「若いころは父母のことを積極的に知ろうとはしなかった」という麿さんは、戦後50年の年にテニアン島を訪れます。誰のものか分からない遺骨を見つけ、父への思いを新たにします。島の海岸で拾ってきた貝殻を今でも大切にしているそうです。(1月11日〜14日掲載)

さらに3年ほど前には、母の姉が、僕がけいこ場を構える吉祥寺のすぐそばで健在であることが分かった。
母方の親族と対面したのも、父母の結婚当時の写真を見せてもらったのも初めてだった。
(略)
70歳近くになった自分の元に、ようやく届いた父母の遺品。
奇妙な運命だが、今はそれを楽しんでいる。

お父様は不沈戦艦 長門に乗艦されていたそうだ。