緒形拳の帽子

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/about/index.html
緒形拳の帽子をみる。号泣はしなかったが、佳作。

僕は昭和21年1月に呉市で生まれました。原爆の胎内被爆の世代で、小学校の同級生に被爆した女の子がいて、体育の時間はよく休んで見学していたのを覚えています。
姿勢の良いかわいい子でした。近所に、戦争で生き残ってしまった元海軍少将がいて、小さな小屋をたて、一人ぼっちで日雇い労働者として暮らしていました。家族から離れ、自分を罰して生きているのだと母が言っていました。子どもごころに胸を打たれました。戦争に敗れた海軍の町でしたが、どこか誇りに満ちた町でした。

そこから東京へ出てきてもう40年以上になります。記憶が次々に風化し、いつの間にか自分の育った町を客観的に見ている自身に気づきます。客観視できるということは実感が薄れていることでもあります。

今度この町を書きました。書くことで少し実感が戻ったような気もします。しかし、40数年の月日はそう簡単には埋まりません。物語は、呉に住む帽子屋の孤独な老人が40数年むかしの恋を思い出す話です。思い出し、なつかしい相手に会いに行き、かつての自分と誇りを取り戻す話です。書きながら、自分が故郷を思う気持ちと似ているのかもしれないと思いました。