成人式のいっぽうで

【震災14年】「20歳の桜子は…」 あの日逝った太陽のような少女
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090111/dst0901112026017-n2.htm

地震の前日、夕方に2人で留守番をしたのが最後の思い出。ひざにちょこんと乗ってきた桜子ちゃんと、クリスマスの話をした。「じいちゃんは悪い子だからプレゼントをもらえなかったんだよ」。そういうと、真剣な目で「ううん、じいちゃんは優しいよ」と言った。愛しくて愛しくてたまらない孫だった。

 近所や幼稚園でも人気者だった。道で知っている人に会うと、必ずあいさつした。年少の園児に説教する園長先生に「そんなに怒らなくても」といって笑わせた。「街の太陽だった」「何であの子が」。そんな言葉も、悲しみを深くした。知人の孫自慢が何より辛いものになった。

 地震がなければ、がれきに埋もれた新品の学習机で、毎日勉強するはずだった。二十歳になれば、お酒が大好きな幸夫さんに負けない“酒豪”ぶりを発揮したはずだった。将来は翠さんと同じ踊りの師匠になって、大舞台で華やかに舞うはずだった…。加賀家には、桜子ちゃんの死とともに永遠に奪われた数々の幸せが、深い悲しみとともに同居している。

 幸夫さんには、二十歳の桜子ちゃんの姿が想像できない。成長した孫にかけたかった言葉も、見つからない。「むしろ、二十歳の桜子が何を言い出すかなと思います。『あんな着物が着たい』とかよくいう子でしたから。それと自動車の免許を取りたいと言い出したら、私が危ないからだめと言ってきっとけんかになったでしょうね」。

 間もなく14回目の1月17日が巡ってくる。壊れた家は建て替え、区画整理を経た街も姿を変えた。地震後に生まれた翠さんの長男、亮くん(8)が大きくなった分、自分も年をとった。桜子ちゃんだけがいつまでも6歳の笑顔のまま、幸夫さんのまぶたに焼き付いている。